父になるまで。 EPISODE.3
さて。自分の人生に『不妊治療』というものの必要性が出てくることなど、正直、考えたこともなかった私。
しかも、原因は妻の卵管閉塞である可能性が高い。
……これ。夫の側からすると、けっこうキツイよね。
もちろん、妻を責める気なんてサラサラありませんよ?
ただ、妻自身は、自分を責めるわけですよ。
「私の身体のせいで子供が出来ない……。」
「ちゃんと子供が出来る身体の人と結婚していれば、あなたは悩まなかった……。」
こういう言葉を聞く度に、こちらも苦しくなるわけです。
子供を生んでもらうために君と結婚したわけじゃない!
子供が出来ても、出来なくても俺達が幸せな夫婦であることに変わりはない!
なんて言葉も何度も妻に言いましたが、妻が吹っ切れることはありませんでした。
原因が妻にある。
なぜ、私の側に原因がなかったのだろうか。
自責の念に囚われる妻を見るぐらいなら、自分が責任を負いたかった……。
そう思いながら妻を慰めきれない自分の無力さを感じていました。
不妊治療を始めるか否か。
悩みつつも、私からは何も言えずにいたある日、妻が言いました。
「やっぱり、不妊治療をしたい……。」
私は、賛成しました。
反対する理由がなかったと言うより、反対しても、賛成しても、どちらが正解だなんて分かりませんから。
不妊治療が上手くいって、子供を授かったとしても、その幸福を得る裏で、失うものが必ずある。
夫婦2人だけの自由な生活。経済的負担。子育ての悩み。
逆に不妊治療が無駄に終わったとしても、苦しみ、悩むことになる。
子供がいない老後というのは、どういったものだろうか?
世の中の「あの夫婦、子供がいないんですって。」的な子供がいない夫婦は悪であるというような風潮が根絶したとは言い切れない。
子供を生めなかった女性としてコンプレックス、劣等感を抱える妻の姿も想像出来る。
だから、やれるだけやってみよう。
どちらにしてもハッピーとアンハッピーが共存するのであれば、やる方を選ぼう。
コスト的な問題も頭を過ぎったけれど、それと今のこの停滞した夫婦間の感情を天秤にかけている場合じゃない。
そして、我々夫婦の不妊治療は、本格的にスタートしました。